航空管制官、再受で医学生なう。

航空管制の話題を中心に。航空と医療をつなぐ。

航空保安大学校に進学したきっかけ

 今月いっぱい、ブログのデザインテーマを「Pray for Japan」で固定しています。北国生まれ北国育ち、Uniform Sierraです。

 

 私は『元航空管制官医学生』として、航空ネタを中心にブログを書いていますが、元々、航空管制官になるつもりはありませんでした
 子供の頃から科学全般が大好きで、田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞したニュースを見て研究者の仕事に興味を持ち、将来は研究者になりたいと漠然と思っていました。家族は理系と無縁な人々なので「うちの子、将来博士になりたいんだって。へー」ぐらいの扱いでした。
注記:うちの親は経済的な余裕が無くても、私がどうしても欲しい科学の本は買ってくれましたし、やりくりしたお金で年に一度東京まで連れて行ってくれて、国立科学博物館日本科学未来館といった私の聖地で、私が満足するまで一日中付き合ってくれました。うちの親がすごいのは、私のこだわりの強さにどこまでも付き合ってくれることだと思います。
 中学生の頃、ある出来事がきっかけで、とある疾患に関する基礎研究に携わりたいと思うようになり、その分野の研究で有名な先生がいらっしゃる某国立大学医学部を目指すようになりました。但し、家庭の経済状況が苦しかったため、夢を追うなら一発勝負。進学しても、奨学金という名の莫大な借金と、高時給な黒いバイトに明け暮れる生活が確約されていました(笑)。
 当時、本命の国立大の他に、奨学金制度の充実している医大と、授業料のかからない大学校を受験しましたが、結果は、医学部全て惨敗。浪人するお金は無かったので、合格している大学校の中からの選択≒就職を決意しました。

 しかし、医学を学ぶチャンスを諦めるつもりはありませんでした。就職してもお給料を貯めて将来の学費にする、と決めていました。
 経済的な動機の就職でしたが、学位の取れるB大学校ではなく、あえて航空保安大学校を選びました。理由は、私は英語がとても得意だったので、得意を生かした先に『何か』を見出したかったからです。正直に言って、絶対に医学部に進学できると信じていたのに不合格だったので、自分の自尊心を保つものが何か必要だったのです。

 そういう経緯で、家出同然で大阪へ転居しました。