航空管制官、再受で医学生なう。

航空管制の話題を中心に。航空と医療をつなぐ。

保安大回想録① 『顔をする』ということ

 新入生が「入る大学間違えた。絶望」とSNSに書き込んでいて、留年生が怒っていらっしゃいます。お前はまだ本当の絶望を知らない、と。含蓄がありますね、合掌。他山の石とします。Uniform Sierraです。

 

 ン年前の私も、多分同じことを言っていたと思います。「進路間違えた。防衛か気象に行っておけば良かった。絶望」。

航空管制の話が分からない
 ➡飛行機の運航の流れなんて知らない

そもそも飛行機の話についていけない
 ➡みんな「ビースリー」だの「エアバス」だの語っていて、外国語にしか聞こえない

教養系の勉強が思ったより少なかった
 ➡簡単すぎて、やる気が出ない

実習がごっこ遊びにしか見えない
 ➡恥ずかしくて、ムリ

英語使うシーンが少なすぎる
 ➡せっかくの英語力が生かせないじゃん!!

とにかくイヤイヤ言っていた記憶があります。

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 しかし、そんな私も管制官になってしまうと、

「新しい世界に飛び込む経験も必要だと思って、当時はがむしゃらに頑張った時期でしたね(ドヤ)」

と語る奴になっていました。というのも、航空業界における航空管制官は、医療界における医師と同じく、権限が広いのです(国交省大臣令を出すことが出来る独任官、と説明すれば権限の広さをイメージして頂けるかと思います)。だからこそ、他職種から向けられる視線は厳しく、求められる『管制官像』に適う自分にならなければならない。そういう空気を作っていたのが、保安大でした。

 管制官になることに何も疑問を持たなければ、カリキュラムに沿って熱心に実習をこなせばいいのです。

 

 同じ構図が、医学部の教育にも当てはまります。
 臨床医育成を建学の精神としている私の大学では、臨床医になることに何も疑問を持たなければ、カリキュラムに沿って熱心にテスト・実習をこなせばいいのです。求められる『医師像』に近付く空気を大学が作る。その空気に染まった医学生が『医師像』の意識を持つことを、医学部界隈では、
『医者の顔をする』
と言うようです。たまに広報でそういう表現が載っていると、「意味が分からない言葉」と言い出す人もいますが。

 つまり、専門職の育成に共通することは、『顔をする』ように育てることなのです。行動が精神を作るという構図です。これを「健全な精神は健全な肉体に宿る!」とか言う人は、アンチ体育会系な私、ちょっと苦手。

 私が管制官としてマイクを握っていた頃は、確かに『管制官の顔』をしていたと言い切れます。ただ私の場合、何かの疑問が、行動(日々の仕事)の積み重ね以上に影響力が強かったのです。『管制官の顔』は、ペルソナにすぎなかったのです。

 だから今の私は、あえて『医者の顔』をしようとは思いません。
・医師の仕事がしたいから、外科結びを練習する。
・医師の仕事がしたいから、教科書を読む。
……仕事内容に『意味』を見出せるから、簡単なことを丁寧に、しっかりと習得したいと思うのです。今の私が管制官として勉強するなら「実習が恥ずかしくて無理」なんて言えないと思います。「子供っぽくて無理」と思っていた、飛行機の磁石を動かすTFC INFOの練習も、それなりにやっていたと思います。
 今好きな道を歩んでいるので個人の後悔は無いですが、社会人として欠落していた、という反省の念は残っています。「まー、二十歳になってなかったからねー」と自分の幼さを理由に逃げることもできますが、「管制官なら自分の仕事ぶりで物を言え」という『管制官の顔』と、「誠実たれ」という『医師の顔』が許さないらしい。あれれ?

 新入生・新社会人・そして新たな環境に身を移した人、「顔」をしていれば、いつか自分の心と一致するものだと思います。専門とは、『染まる』ことから始まる蓄積だと、私は思います。

 

 来週から新年度の授業開始です。3年生も頑張るぞい!(ポプテピ風)
 それでは、Good day.